關戸商店 櫻組代理店
靴鞄商
弁天通2丁目41番地(244)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
櫻組代理店 關戸商店「櫻組代理店として市内同業者間に喧しく各地へ輸送する荷物亦多数なりと品質の精良は勿論價格大に廉なりといふ」京浜名家総覧職業
靴鞄及調帯革の巨匠 關戸重太郎「皮革商は一種賤業かの如き感を抱きし晒習を打破し、天晴れ堂々たる文明的の商人として立る關戸商店主重太郎君の成功譚こそ世にも頼母しけれ、回顧すれば明治十六年の秋、年歯廿七年の壮丁は静岡縣下より来りて櫻組の一店員となれり、櫻組は世人の汎く知れる皮革及造靴の巨商にして、支店を各地に有し基信用最篤かりし、今にして懐へば皮革造靴業何の怪しむなきも、冊年前文明日猶浅く、軍需其他日常の要具を賤しみたる弊習牢として抜く可からず、随て之に従事する徒も一種の習慣なしとせず、然るに機組にて得たる新店員や、あらゆる悪習を脱却し誠意勤勉儕輩を壓せしかば間もなく披擢せられて支店主任の榮稱を蒙むるに至れり、此の壮丁こそ則ち關戸重太郎君其人となす、地歩を得たる君は奮ふて店務を刷新し、利殖の途を計り、櫻組に稗益を興ふること甚だ多かりし、明治卅二年八月に至り終に同支店の全部を譲り受け、更らに櫻組の嘱托によりて代理店となり、玆に始めて獨立自營の一店主となるを得たり、君常に謂へらく、我は郷里の一寒驛に人となり、大家巨富の傲然として瞰下する如きの態度を見て心頗る平ならず、一たび志を得ば焉んぞ地中に潜むべきと、機は来れり、玆に君をして風雲に際會せしむる好機は来れり、君が一店主となりて五年、極東の天惨憺として迅雷将に耳を掩ふの遑なからんとす君は此一刹那の天機を看破し、大に皮革の直輸入を爲せり、動員令は下りぬ、戦闘情報は齎らせられぬ、上下を奉げて軍國の事に奔走せり、軍需品の首位として皮革類の消費は更らに云ふを竣たず、君にして若し先見の明なくんばあたら當局者をして臍を噛むの悔あらしめしを知らず、商人として報國の義務蓋くし得て餘ますなし、君の業務に熱心に又熟練なると斯の如し、冊八年五月横濱皮革商組合を組織さるるや、選ばれて其長となり、明治四十年櫻組の合資組織となるや、四十一年十月選ばれて其業務執行員となる、君が斯界に於ける名望如何に重きを知るに足れり、而して關戸商店製造の靴鞄類は、最良の材料に優秀の技を施す故に、耐久と優等とを兼ね、闇戸商店製造の名は夙に世上に喧傳され、内地は勿論歐米各國より近く濠洲香港上海より續々靴鞄の注文あり、第五内國勸業博覧會には製靴を出品して二等賞牌を受く、君天性寛厚にして自ら卑に居り、忍耐にして克く己を抑ゆ、その素志を貫徹して今日の位置を保つに至れるもの豈偶然ならんや、」横浜成功名誉鑑
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