野毛山不動尊
宮崎町30番地
伊勢山大神宮と並んで庶民の信仰を集めた。明治3年(1870)成田山から分霊を勧請し太田町普門院境内に崇拝所を設立したのが始まりで、明治9年(1876)に高島嘉右衛門から敷地の施入を受けこの地に移転した。明治26年(1893)成田山新勝寺の準別格本山延命院となる。
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「本市花柳界初め一般の信仰篤き所。明治三年中南太田に遥拝所を設けしを初めとし。明治九年高島嘉右衛門氏の地所寄付に依り此地に移す。毎月二十八日を縁日とし野毛通り迄群衆雑蹈す。毎年の節分會には市民實には市民賽せざるものなし。境内千四百六十坪堂宇九十八坪別に水行場を設け。中腹には石の三十六童子を祀り躑躅、霧島、皐月等を植ゆ。石段三段百數十級。海員弔魂の大錨は地上千餘尺赤球を點ずるもの。海上數十浬より望見し航海の標的となるとう云ふ。秋葉山亦此所にあり。」横浜商業遊覧案内

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