神奈川県銀行会社実業家名鑑 |
大同生命保険 横浜代理店
織戸瀧之丞
相生町6丁目90番地(772)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
横浜石炭業組合長 織戸瀧之丞「橫濱燃料株式會社々長横濱石炭業組合長織戶君瀧之丞君の成功談こそ世の薄志弱行なる青年には善き龜鑑なれ、君が身を立てんとして大阪より帝都に上り轉じて横濱に来るや、 嚢中剰す處僅かに六錢、以て一飯の饑を救ふに由なし、風餐雨食形影相伴ふ、而かも志望や凛として益々堅く、身を労役者に投じて零碎積んで若干の資を得たり、よりて古衣を買ひて露店を街頭に出し、步一步立脚地を定め、質屋業及び成田火災保險會社の代理店をなせしが、偶々重役の一人なる好間炭鑛株式會社々長なる白井遠平氏の知る所となり、同坑炭の神奈川縣下一手販賣を託せらるるに至れり、之れ明治七年の事なり、君か炭界に於ける閲歴日猶浅きも、義を重んじ信に厚く、忽ち同業者の信頼する所となりて、石炭業組合は君を推して其長に推すに至る、又燃料株式會社の改革に際し、社長に舉げられて熱心畫策し、同會社をして今日あるを致さしめし功績や蓋ふべからず、君又玉川無煙炭礦を買収し櫻無煙炭礦會社を設立せるは近来の事に属す、又當代商界の一人物ならずや、終に臨んで特筆すべきの一事は君は安政五年の出生にして生家は紀州の素封家なり、令兄孫之丞氏現に村長の榮職を占む、君天涯に落魄して一も父兄の救護を借らず、以て彼岸に到着せし其心事や實に模倣し易からず、世上幾多の肉食者流果して如何の威かある、」横浜成功名誉鑑
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