兵藤芳矩小児医院 福富町

神奈川県銀行会社実業家名鑑
兵藤芳矩
小児医院
福富町2丁目55番地(932)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

醫會の経世家 兵藤芳矩「浅野總一郎氏等に係れる南北石油會社の平沼に建設さるるや、設備不完全にして油槽の破損一再のみならず、あらぬだに惡臭を放ちて附近の住民に畏懼を抱かしめ、沿海の漁業家は魚族海藻に變味を生じて大恐慌を来さんとす、此時に當て決然立て其非を絶叫し抗議を提出せしは實に兵藤國手の主唱に係れり、國手は丹後峯山の人、明治十年横濱に来りて醫を業とし、市會議員として侃諤の正議衆の推服する所なり、南北石油事件の如き最沈着の態度を取り、仔細に原因を調査し市會の意見として監督官廳に上申し、一方會社に向て警告を試みしに、會社もその穏當なる抗議には大に反省して後寶田石油会社に合併し、残滓の如きも海中に放下せず肥料會社に交付し、設備を更め大に居住民に慰安を興ふるに至りしは、實に國手が仁侠の行為に出てしものと云はざるべからず、」横浜成功名誉鑑

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