松下久治郎肥料商店 千若町

神奈川縣案内誌
松下久治郎商店
雑穀肥料
千若町1丁目3番地(728)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

松下久治郎 青木町3587番地「君は尾州の人慶應三年を以て知多郡龜崎に生る十九年東京に出で京橋區越前堀に肥料仲買業を開始し桔据奮勵辛酸具さに甞め營々事に當る是れ實に二十歳の一少年が空拳を揮って自營獨立の途に上れる第一歩なり後ち二十三年深川佐賀町に於て肥料問屋を開業せしが當時肥料業者の専ら扱へるは北海道産出の鯡肥料なるを以て君は永く此天產に依頼すべからざる所以を看取し更に北清の大豆豆粕を輸入するの企儘を爲せり今や我が邦大豆及豆粕の輸入高一千萬圓の多きに及ぶ其先覺者として目すべきものは實に君なりとす斯の如くして三十三年二月横濱住吉町に支店を設け三十四年之を神奈川靑木町に移し更に三十八年に至り改めて本店と爲し以て今日に及べり是を君が事業徑路の一班なりとす君又運輸機關の商業取引に於ける重要なる關係に付では常に深甚なる研究を懈らず偏へに之を利用するの途を講ぜり故に海上の危険を冒し貴重なる時間を多費して貨物を深川に同漕し鐡道に托送するを以て頗る迂遠なりとし之が爲めに海陸運輸の關係簡便なる地點を求め以て事業の進展に資せんとせり君が支店を神奈川に移したるは實に此着眼に基くもの而かも同地が今日の如く實業的に発達し來りしは君が其繁昌を誘致せるものなりと謂ふも過言にあらざるべし己にして君の事業は次第に拡張せられ今や北清より輸入する大豆豆粕類の取扱高己に二百萬以上に達し同商にありては日本一なりとの評あるに至る双盛ならずや本年日清製粉會社創立に當り取締役となり双大倉喜八郎氏等と日清豆粕製造會社を起し其取締役となる此他日本商船會社重役の任を帶ぶ君が久しく淸南の掌裡に在りたる商權を我に収め以て肥料輸入業に大成功を得んとするは壯圖ならずや」京浜実業家名鑑

雜穀肥料の巨商 松下久治郎「君本性は間瀨、慶應三年一月愛知縣下に生れ、明治十八年七月松下文吾氏の養子となり、同二十年家督を承く、 明治十九年東京京橋區越前堀に肥料仲買業を開始し、更らに肥料問屋を深川佐賀町に設け、魚肥を專業として傍ら北清大豆豆粕に其指を染むるに至りしは實に明治廿六年の事なりとす、業務日を逐ふて繁盛を極めしかば、一層擴張の方案を廻らし、三十二年橫浜市住吉町に支店を出せら、次で之れを青木町に移して海陸運輸の便を計り、三十七年改めて本店と爲し、四十年販賣所を渐築して愈々大發展を企つること、なれり、君は商業會議所議員に列し、日本商船會社、日清製粉會社、日淸豆粕會社等には何れも取締役を兼ね、令名譽望隆々として起れり、」横濱成功名誉鑑

現代之横濱

横神

0 件のコメント:

コメントを投稿