青山時計店 弁天通

神奈川縣案内
青山時計店
時計商
弁天通4丁目69番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

時計商 青山徳次郎「大器は晩成すといへる諺あれども、成功の苗芽は已に幼少の間に現はる、青山徳次郎君は東京芝の人で牛込の布袋屋といふ呉服店の厮養であったが、十九の歳に横浜に來りて古着店を開いた、次第に繁榮に赴いたが惨酷なる祝融氏はこの健氣なる少年の店舗を襲ふて烏有に歸せしめたのは三十二年であった、薄志弱行の人ならんにはさこそ落膽すべかりしが、毫も屈する色なく姿見町に移りて再擧を企てたが、時計商の有利なるを看破して時代遅れの時計を買入れ地方へ轉賣することとなった、元来時計は實用品に相違なきも、都會の士女は装飾になくてはならぬ贅澤物で、其流行の推移は中々烈しき者である、玆に着眼した奇警の措置は見事に適中して、十年後の今日では時計商組合員として有數の人士を以て目さるるに至った、今の場所に移ったのは七八年前のことである、」横浜成功名誉鑑

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