百井久七蚕糸絹物貿易商 太田町  

横濱蠶絲日報
百井久七
蠶絲絹物貿易商
太田町3丁目48番地(903)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

蠶絲絹物貿易商 百井久七「先代百井久七氏は丹後宮津の人、明治五年横濱に來り通稱蘭八(外商八番館)の店員となり、生絲係として明治十一年頃迄勤續し、其の間質商をも營み後獨立して生絲業を兼營す、明治十四年現主久七君襲名して家督を相續し、京都及宮津に支店を設け、生絲及縮緬業を開始だが、十六年經濟界の恐慌により打撃を受け、兩支店を閉ぢて橫濱貿易商會に入る、十八年より蠶絲伸次業に從事し、蠶絲取引所設立後仲買業をも兼ね、明治二十五年第一絹絲紡績會社の原料買次業を營み、岡山南海兩會社の買次をも兼ね、三十五年絹絲紡績六會社の大合同により、横濱出張所として原料買入及絹絲紡績絲の賣込に從事す、三十七年伸次業を廢し蠶絲貿易商を營み翌年より輸出絹物業を兼ね、四十年十一月玖馬共和國バナゝ市に商店を設立し、絹物及雜貨の直輸出を營みつゝあり、先代久七氏甞て明治三十一年六月蠶絲賣込方改良に腐心し、改良方案並に日本蠶絲内外委托販賣會社設立の意見を農商務大臣に上申せしとあり、諄諄說く處三十八頁、節々肯綮に當る、叉以て其業に熱心なりしを想ふべし、」横濱成功名誉鑑

0 件のコメント:

コメントを投稿