横濱蠶絲日報 |
渡邊絹商店
羽二重売込委託販売商
住吉町2丁目31番地(1229)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
渡邊熊五郎 住吉町2丁目32番地「栴檀は二葉より馨ばしと君歳僅に十三歳既に凌雲の志あり男子生れて名をなさずんば何を以てか生を享けるの甲斐あらんやと蹶然として郷里を出で同縣南勢多郡水沼村生絲業の元祖たる星野長太郎氏方に店丁となり繭の仕方を實習す想ふに生絲は我國最大輸出品の一にして事業の将来倍々発展するの望あればなり尋いで同縣山田郡高津戸村二渡金兵衛氏方に見習ふ而して其業に熱心精勵して廿四歳の春に及ぶ其歳の五月君齢二十宜しく廣濶の活舞臺に出でて未来の大成を期すべしと横濱市辨天通の森原左衛門氏の支店に入り羽二重商に關する智識を習得せり居ること朞年にして二十六年羽前の人今井治郎三郎氏と協同して生絲貿易業を剏む是より進んで世界的商業に従事せんと欲しあらゆる辛苦を經て漸く若干の資金を作り得て三十一年獨立自營羽二重仲買業を開始す當時君は實に斯業の先駆者にして甞て一人の同業者あるなし君引き続き斯業に刻苦精働すること十年に垂んとす三十九年十二月五品仲買業たることを許されたり三十八年より絹物組合仲買部長となり五品仲買委員となりて此誉ある位置にし君の素懐は大に伸暢されたりと云ふべし曾て輸出羽二重に戦時税を附加することに對し大に之に反抗し同業横濱総代として東京同業者と協力一致して其の主義主張を貫徹し此間其職に日夕精勤と東奔西走それが爲めに時日を消磨すること一ヶ月なりしと嵯呼努めたりと云ふべし其外赤十字社々員たる等公共事業に盡さるるところ多し資質温良にして慧敏活達なり嗜好は普通にして偏奇あるなし明治五年一月群馬縣前橋市新町に生る父留吉氏の嫡男にして生絲商たり學歴の如きは前橋市に在って學窓に止まること五ヶ年なりしと云ふ」京浜実業家名鑑
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