横浜社会辞彙 |
横浜通信社
通信
太田町5丁目89番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
横濱通信社長 日比野重郎「生絲羽二重の輸出は横濱の生命なり、之が商況通信は貿易の消長に至大の關係を有す、横濱唯一の通信社日比野重郎君は普通政治上社會上の通信と共に、貿易商況の通信を以て一特色となし、京濱及び全國の各新聞社に通牒して敏活なる貿易戦の通信本部たるの職責を怠らず、吾人は多年一日の如く其事業に忠なる君の人格を畏敬し其成功を欽するものなり、君は常陸水戸の舊藩に生れ、東都に修學の後横濱に來り、新聞通信の缺如たるを概し自ら其衝に嘗りたるは十數年前のとなりき、初期の成績は甚だ振はざりしも、不屈の精力は風雨寒暑を問はず奔走盡力到らざるなく、遂に今日の盛大を獲取せり、君に原富太郎氏の知る所となり、業務の傍ら原商店の生絲日報編纂の任に當る、又横濱寫眞倶楽部員として意匠高雅の譽れ高し、」横浜成功名誉鑑
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