東京興信所横浜支所 弁天通

横浜社会辞彙
東京興信所
興信所
弁天通4丁目78番地(775)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

興信業の鼻祖 東京興信所横浜出張所 本邦興信業の鼻祖たる東京興信所は日本橋區坂本町にあり、所長は森下岩楠氏、評議員會長には澁澤榮一男を推し、豊川三菱、川島正金、波多野三井、池田第百等の銀行家諸氏を評議員とし、商工業者の資産及營業狀態を調査報答して實業界の信用發達を助け、銀行其他の商工業者に營業上の便利を與ふるを以て目的とす、明治廿九年二月日本銀行を初め、京濱十九ヶ銀行の發企によりて創立に着手せしが、後廿六行の多きに達し、同年七月より事務を開始し、東北中國等の重要なる都會に出張所を設け、卅二年度に至り外國興信所と遧絡を通ずるに至れり、橫濱出張所主任は本間龍二氏(東京の人)にして、明治廿九年十一月設置以來赴任し、初め專ら外交に從事せしが敏腕にして重望あり、十數名の所員を督して孜々として勉勵し居る、因にいふ同出張所は初め太田町三丁目にありしが、數回移轉して卅五年中舊銀行集會所跡を買受け、一層業務を擴大されたるものなり、」横濱成功名誉鑑

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