横浜銀行集会所
本町6丁目84番地
遠藤於菟の設計で明治38年(1905)竣工。横浜に本支店を持つ銀行が経営の研究や親睦を深める目的で設立した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書
銀行家の團體 横濱銀行集會所「銀行集會所は銀行業者が營業上の利害及経済上の問題を研究する傍ら親睦を厚ふする機關なり、始め明治十四年の頃正金、第二、七十四の三行及三井、第一、第三、第百、第三十五の各支店間に、相互の交誼を厚ふするの目的を以て、毎年一回懸親會を開くの例あり、是銀行集會所の萌芽にして、次で十八年月曜會なるものを設けて毎月一回同業者の集會を開く、二十七年四月一たび之れを解散して新に辨天通四丁目に銀行集會所を設け、全市の本支店銀行多く之れに加り、三十三年二月より手形交換を開始し、三十八年十二月本町六丁目に建坪百四坪の洋館を建築し、三十九年一月より開所し、次で組合十七銀行の寄附行爲に依れる財團法人の認可を受け、 横濱正金銀行取締役山川勇木、横濱七十四銀行頭取大谷嘉兵衞の二君を理事に推選せり、而して書記長には八木橋愛次郎君其職にあり、所內別に銀行 俱樂部を設け 交誼上の 便宜を圖かる、」横浜成功名誉鑑
「辨天橋の袂。白煉瓦二階建八十餘坪の一館は市内銀行業者の營業機關にして。手形交換を本務とし。業者の親睦の為め娯楽機關をも俱樂部敵の組織もあり。」横浜商業遊覧案内
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