神奈川洲崎神社
青木町248番地
建久2年(1191)源頼朝の創建で安房神社の分霊を勧進したと伝えられる。6月の例祭には安房の洲崎神社と同時刻に神輿を海に担ぎ入れ両神が海を隔てて出会うという見合祭が行なわれていた。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
「宮柱太しく立みませり、安房の國より渡らせ給ひし由祭神は天太玉神にまします、此處昔は風濤荒く、後には權現山の天嶮あり、前には茫々たる煙波遠く大海を望む、」横浜成功名誉鑑
洲崎神社々司 吉田明寬「君性堅實敬神の念深く、三十七八年戰役當時には大に愛國の精神を鼓舞注入し、後援事業に奔走せられしは今猶ほ世人の記憶に存するところなり、君は嘉永五年十月廿日を以て鎌倉に生る、嚴父名は豊元、鎌倉國幣中社鶴岡八幡宮の舊神官なり、故を以て君幼時より皇典の研究に勤め、長じて官幣中社鐮倉宮主典を奉職し該社の出納會計を兼務す、 明治八年神奈川郷社洲崎大神社々司に補せらる、當時社殿の改造漸く終りしと雖る、神社の整理未だ全からず、於是君東奔西走有志を說きて大に土木の業を作し、神輿庫神樂殿其の他各種の工作物を、或は新築し或は改造し、以て現今の隆盛を致せり、君叉神職社會の重視する處となり、夙に神奈川縣第一區神職取締理事、 叉同縣皇典講究分所神職試驗委員會理事として、斯道に貢献せる處尠なからず、」横浜成功名誉鑑
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