太田町6丁目93番地 尾上町5丁目80番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
神経系統病理専門 加納禎吉「馬車道なる電気鉄道交叉點にて何人にも先づ目に映ずるは神経系統病理の泰斗加納医学士の醫院なりとす、院長名は禛吉、資性溫厚にして謙譲、平素抱持する所の平民主義は一言 一行に躍如たるを覺ゆ、 古來より庸醫の本領とする徒らに玄關嚴しく服裝美に以て世を衒はんとする如きは君の噴飯する處にして、眼中貧富の別なくただ仁より他字なき以て徽すべきなり、宜なり市民の上下擧げて君を喝仰するや、君は岐阜縣高山の人明治四年を以て生る、卅四年醫學士となり、醫科大學附屬病院に在りて三浦博士の助手たること三年、次で越後長岡病院長として赴任し滿期後現所に開院す、君又婦人慈善會病院長として令名あり、」横浜成功名誉鑑
「院長は医学士加納禎吉氏なり沈着にして寡言、内科に精通し患者に対し親切門戸大に賑ふ。」現代之横浜
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