野毛山病院 老松町

現代之横濱
野毛山病院
老松町1丁目4番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

野毛山病院「有名なる刀圭家難波要氏の經營せらるゝ所院は邃にして静粛収容すべき病室數十を以て算す常に懇切周到患者頗る多しといふ」京浜名家総覧職業

野毛山醫院長 難波要「外科の施術を得意として錚々の名ある野毛山病院は、醫學士難波要先生の經營に係るものなり、先生は明治八年福井市豊島仲町に生る、郷里に在りて普通敎育を卒ふるや、大阪に出て高等中學校に學ぶ、次で出京し醫科大學に專門の學を研む、二十九歲卒業し醫學士の學位を得て、同大學の助敎となり勤務する事四ヶ年、辭職後横濱に來り舊近藤病院を繼承し三十六年野毛山病院と改稱す、四十二年三月佛國に遊び目下獨逸に留學中なるが、留守は渡邊醫學士其他助手看護婦各十數名內外患者の診療に當り滿足を與ふ、同院は入院室約五十を有し、設備完全加之地の高燥は患者の慰楽に最も適せり、」横浜成功名誉鑑

「病院中最も完全なるものは野毛山病院とす院長難波要氏は外科の大家として知られ曩に獨逸に留学して研究する所あり本年論文を提出して研究する所あり本年論文を提出して医学博士の学位を得、横浜市三百餘の医員中博士は君一人あるのみ。」現代之横浜

實業之横濱

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