菅沼消毒社 西戸部町

奉祝記念誌
菅沼消毒社
消毒
西戸部町4丁目16番地(1407)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

菅沼惣吉 戸部町4丁目96番地「君は慶應二年三河豊橋在の農家に生る明治十四年志を立て、東京に出で九善薬店に入り親しく薬學を見習ひ十九年横濱九善藥店に轉じ最早獨立するの時機となりければ今の所に店を開きて薬種商を営めり當時君思へらく薬業は人間生命の繋る所其重視せざる可からざるは言を待たずして明かなり然るに當今の法律を見るに重視す可き藥業を輕視するの甚だしき何等藥業に經験なく素養なきものにても其開業を望むに從ひて許可せざる可からざるは何たる法律の不備ぞや今にして之を改めずんば不良薬品は續出して人を毒すること甚だしかるべしと大に其機の至るを待てり三十五年に至り果然政府も其間の弊に堪へざるものか議會に改定案を提出して大に其不備を正さんとせり其内容は頗る急進的にして薬剤師にあらざれば薬舗を營むこと能はざるものなれば従来の薬種商は大に驚き改正案に反對するもの少なからざりき然れど君は大に賛成の意を表して運動する所ありしが不幸にして該案は否決の不運に逢ひぬ三十七年政府は又もや改正案を提出せしに反對者の運動甚だ猛烈なりければ政府は遂に撤回するに至れり此時も君は大に賛成運動に盡力せしも微力何の値する所無かりき此に於て乎君は醫師薬學者貴衆兩院議員内務當局者等を歴訪して大に藥律の改正せざるべからざるを説き獨逸國藥舖主試験規則等を記し鳥田沼南氏の校閲を受けて諸方に頒布し大に運動する所ありければ神奈川縣藥業會等賛同するもの實に五百六十三の多きに及べり而して第二十三議會に 及び君が理想を十分に實現するに及ばざれども少しく改正せらるものありたるは君が多年の盡瘁よるりて大に力ありしなり君又草藥會幹事として斯界に貢献しつつありと云ふ」京浜実業家名鑑

「菅沼消毒社の消毒装置は現時医学会の最も信任する『フ ヲルムアルヒード』瓦斯消毒法にして此方法は室内並に衣類夜具器具其他の物品を毫も毀損變色せしむるの處なきものにて同社にては只管ん公衆衛生のの爲め充分の責任を帯び最も低廉の料金を以て一般の依頼に應ずる由、病害産室等が消毒の必要あるは勿論ながら多人数集会の箇所又は初めて轉宅轉室等の場合若しく古衣古道具類を消毒することは動もすれば急り勝ちとなれば病毒を恐れ衛生を重んずるものは此便利なる消毒法を勵行せんことあらまほしけれ。」実業之横浜

救生堂藥舖 菅沼惣吉「君の職業に菅忠實なる一事は人命を左右する賣藥商の無經驗なるを漑し、自ら藥舖を開らきて藥劑師を聘し、有効なる新薬を製出して救生の天職を全ふせんとするにあり、君は三河八名郡の人、慶應二年を以て生れ初め丸善藥店にあり、忠實に任務を全ふし、明治二十三年の頃より獨立開業せり、一意賣藥改善の方法に向ふて進行し、或は當路に訴へ、或は同志を糾合し、百方到らざるなし、スガヌマ消毒社を起し専ら衣類物品其他汚穢の部分を出張消毒するの便法を案出し、平等に衛生思想を普及せしめんとす、其他家庭常備薬品として製造せる處方は、何れも嶄新にして効驗神の如しとは震賣藥的口調にあらざるを認む、則ち發汗、吐蔼、胃痛、外用膏の四種類として最も普通必須の者を擇びしなり、君は艸樂會幹事及び戸部町衛生組長に推され、叉市會議員として瓦斯常設委員を兼ね頗る令聞あり、」横濱成功名誉鑑

現代之横濱

神奈川縣案内誌

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