平沼町3丁目34番地(996)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「県下農工業の金融機関として一県下一銀行と云ふ法律の下に明治三十一年を以て横浜市平沼町に設立せらるものにして其目的は農工業者に対し低利且つ年賦償還の法に依りて貸付を行ふこととなせり同行の資本金は八拾万円にして大正二年上半期決算に依れば準備及積立金貳拾四万五百円預金百拾六万八千円を有し債権発行の特典に依り其発行高貳百五拾壹万参千円を有せり而して貸付金は五百参拾九万七千円又預金百四拾貳万八千円ありて成績は普通銀行に比するも中以上あり毎年九分の高配当を持続し居れり頭取は福井直吉氏にして取締役に岡野欣之助氏あり何れも実業界に信用ある人々なり現支配人は嘗て神奈川県に奉職し地方課長たりし曽根田氏にして行務熱心の人なり。」現代之横浜
農工業上の金融機關 神奈川縣農工銀行「前貴族院議員梅原脩平氏等の發起に依りて成立せる神奈川縣農工銀行は、頭取福井直吉取締役岡野欣之助永島龜代司岡田寅吉石川長次郎、監査役齋藤滿平中山恒三郎田邊幸七等、有力知名の諸君に依りて經營せられ、資本金四十萬圓、農工債券發行高十一萬六千圓あり、明治三十年の創立に係る支配人は山城銈一君、」横濱成功名誉鑑
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