森田屋洋服店 弁天通

神奈川縣案内誌
森田屋洋服店
洋服裁縫
弁天通4丁目68番地(371)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

森田屋 小谷國松「其スタイルの嶄新なる其裁縫の巧緻なる共に金港に冠たり洋服愛用の紳士一顧の價なくんばあらず當主頗る新進の氣鋭に富む」京浜名家総覧職業

「市内の洋服店の中ではなかなかの老舗だ。四五年前迄は華客を多く海軍軍人又は船員などの方面に有してゐて、海上生活をして居る人達から型の崩れぬを稱讃されてゐた。で、多く此方面の注文を専門に受けてゐたが近頃では一般の顧客に接して大に勉強してゐる。知事の大禮服などを調製して評判が好い。店主は小谷國松氏で少壮な割合に人の使ひ方が旨いので、店員は敏捷に立働いてゐるから萬事に抜目が無く、裁縫の緻密叮寧なるのは尤も特色とする處で、徒らにお體裁の好いものを造らないが、併しキチンとした模型の好いものを拵える。」実業之横浜

「森田屋洋服店の勉強:横浜の洋服店として老舗の聞えのある弁天通四丁目の森田屋にては今回季節に適当したる流行の新柄着荷したるを機とし、斬新の形に則り、益々仕立方を吟味し特に価格を低廉にして注文の応ずる由」実業之横浜

洋服商の鼻祖(森田屋號)小谷國松最先の洋織物商は信濃忠、藤田屋、富屋、杉村屋、明林堂、立花屋、三倉屋、佐和吉等で竹岡善七氏大濱忠三郎氏等の店舗は今に猶隆昌である、ブラオン夫人より傳習を受けしといふ澤野辰五郎翁の如きは最先の裁縫匠であるが、此の頃から始めて今に變らぬ營業を持續せるは辨天通の森田屋であらふ、先代小谷氏は甲州より出で、生絲商であったが、副業として洋服裁縫を始め、明治三年には全然裁縫師となった、入念と堅牢を主として陸海軍の御用、郵船會社や鐵道局の制服を請負ふに至った、第五回內國勸業博覽會に海軍將校の正装とフロックコートとを出品して一等賞牌を得た、其技倆の程知るべきである、現主國松君年尙壯、父業を繼承して益々家業に勵み、暖簾は古し、材料は優等なり、縫方は巧なり、三拍子揃ふて繁盛を極めつつあり、現に橫濱洋服商交換會々長及び洋服商副組合長に推されて聲望高し、」横濱成功名誉鑑

實業之横濱

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