風月堂菓子舗 本町

神奈川縣案内
風月堂
菓子舗
本町6丁目76番地(231)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

本町の風月堂菓子舗 原田千太郎「明治二十四年東京本店より暖簾を別けられて開業したので、和洋折衷の菓子製造に苦心して幾多の珍菓を作り、既に定評もある程だが、中に推稱すべき履歴を持つたのは、如何なる片田舎の駄菓子屋にも見られるワッフルと云ふ菓子である、此
れは本町風月が基の元租なのてある。最初此の菓子を案出した時本店へ型を送り、製法まで傳へ、京濱の本支店で發賣したが、非常な好評を得て遂に全國到る所需められるやうになつた、同店の得意とする製菓は上菓子が多いが、栗鰻頭カステラ窓の月等に至る迄材料精選高尚である、叉毎年初春には御題に因むだ新菓を發賣するを例として居る、どちらかと云ふと和洋折衷が主で和風より洋風が多い、華客は關内上流に大部分を占めて居る、製品の、ハイカラなるに似ず主人夫婦共温厚で古風な大菓子店の趣きがあつて奥床しい、且つ横濱三大菓子舗の中で最も高尚で構へも優美である、また階上に喫茶室の設備もある、」横浜成功名誉鑑

濱羊羹、吾妻饅頭 「本町六丁目風月堂主人自慢の腕前。甘党の歓迎する所其入物の風流亦嬉し。停車場内にも売声あり。日に千余の売れ行は濱ッ子も甘いとは申すまじ。」横浜職業遊覧案内

「横浜菓子舗として有名なり就中西洋菓子に至りては尤も名高し。」現代之横浜

風月堂 原田仙太郎「業務頗る繁劇にして諸國より注文の數山の如し最も世人の嗜好に適する品種を案出し總て實着を主とす又低利を以て名あり」京浜名家総覧職業

「今では店飾美々しき菓子舗の箱や飾壜の中に見ないことは無亦邊鄙な田舎で店頭に草鞋をぶら下げた駄菓子屋にもあるワッブルは、實に同店が製造發賣した元祖でもあるのだ。明治廿四年に東京の本店から暖簾を分けて現在の處へ開業したので當時和洋折衷の菓子製造に苦心した結果遂にワッブルを案出したので、本店へ型を送附して製法を傳授し京濱の本支店で早速發賣した處が非常な好評であって間も無く日本の津々浦々へそれが廣まったのださうである。四五年前から毎年初春には勅題に因んだ新菓を發賣するのを例としてゐる。開業當時から見ると日本菓子は壓され々てゐるが去迚西洋菓子に倒される程でも無く、殆ど均等に製造してゐて、栗饅頭、カステラ等は最も得意とする處であるとのことだ。」実業之横浜

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