河野美術商店 本町

神奈川縣案内誌
河野美術商店
七宝器販売
本町2丁目37番地(1807)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

七寳器中興の功勞者 河野由太郎「陶磁器漆器と共に海外に輸出して東洋美術の聲價を揚げたる七賓燒は、端なくも明治十四五年の交一大打擊を蒙りたり、他なし日本工藝品の通患なる粗製濫造に基因せり、是時に於ける東京、尾州、京都等の産地に於ける凶荒は筆紙に盡し難きものなりき河野由太郎君は東京々橋の人傳藏氏の長男なり、父祖世襲の銅器商を繼承して營業し來りしが、我重要なる輸出品の販路杜絶せんとするを見て奮然之れが恢復の任に當らんと決心し、橫浜に來りて後藤省三郎氏と謀りて、或は原料を供給し或は意匠を考案し、百方救濟の術を講ぜしかば、明治十八年に至り後藤氏は獨得の製品を發明し、新に購買者を挽回せんとする機會に接せり、君は此に於て曩きに原料を供給せし一人なる某氏の店舗を讓り受け、製造家より精選せる品を集めて全力販路の擴張に奔走せしかば、明治十九年に至り再び商務を振興し來りたるより、更らに現在の店舗に移轉し益々事業の發展を謀れり、製造家も一意專心製品に注意したるにより、未だ甞て見るを得ざる無線物風景花鳥の精緻殆んど描寫と髣髴する品等續々出で來りて從前にも倍する盛况を來すに至れり、されば販賣者及製造家は悲酸なる境遇を脱却したるを紀念せんが爲め、各自醵集して紀念碑を尾張海東郡七寳村字東島に建て、君も亦功勞者の最なるものとして其姓名を列せらるゝに至れり、君恬淡の性曾て虚名を國內に求むるを欲せず、單に商品を海外に擴めて君國の利福を進むるを以て天職とす、商海稀に見るの篤志者と謂ふべきなり、」横濱成功名誉鑑

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