津久居絹物商 弁天通

横濱商品取引商報
津久居平右衛門
絹物商
弁天通3丁目51番地(329)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

津久居平右衛門 太田町4丁目160番地「金港屈指の羽二重商として輸出絹織物聯合會代表者たる津久居平右衛門君は豪放にして其の膽斗の如く名望日に隆々たり君は慶應三年九月十日栃木縣安蘇郡佐野町に生る家は連綿として鎌倉時代より續きたる名家にして世々名主役を勤む曾て德川家四天王の一人たる井伊家の馬飼料として佐野に一萬五千石の陣屋を置くに際し津久居家より金五百両を領主に献納したるの故を以て苗字帶刀及び永代名主役たる格式を授けられたることあり君二十二歳の時満腔の希望と功名心を抱いて東都に来り専修學校に入りて法律經濟を研究し他日大に政界に活躍せんとしけるが偶々大津事件の突如として起るあり上下混亂し當時の經濟界爲めに影響を蒙りて諸種の株式は俄然として下落し悲観の雲に蔽はれける時吾が功名の地吾が手腕を試むるの時は今日にありと資を實家に需めて大買収を試み乾坤一擲の大勝負を試む果然其の機に適ひて忽十數萬の巨利を獲得したるは敏捷活眼到底尋常商人の比にあらざるを見るべし明治二十五年横濱に赴きて絹物賣込商を創め三十一年生絲の定期に輸贏を試み株式市場に辣腕を揮ひしも成功の要は投機にあらざるを悟りて遂に力行實践に志し營々として羽二重を初め絹織物の輸出に全力を注で經營せしかば次第に繁昌に赴きて今や高島町に絹布製練場を起し足利桐生に支店を設け店員数十名を使用する金港第一流の豪商たるに至れり君が公人的立場としては二十七年横濱絹織物同業組合評議員に擧げられ三十七年日本織物聯合會代表員三十一年橫濱共同電燈株式會社の監査役に選磨せられ三十八年橫濱絹物組合役員の改選あるや更に頭取となる又自ら满洲利源調査の結果東洋貿易運輸株式會社を創立して其の発表今や敷月の中にありと」京浜実業家名鑑

津久居平右衛門 太田町4丁目160番地「輸出絹羽二重の賣込問屋にして海の内外に赫々たる名を得たり商店員數十店主の爲に日夜精勵し孜々業務の擴張を計りつゝあり」京浜名家総覧職業

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