角和蚕糸貿易商店 北仲通

横浜蠶絲日報
角和商店
蠶絲貿易商
北仲通3丁目48番地(1176)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

蠶絲貿易商 角和善助 北仲通3丁目48番地「波瀾なき生涯には成功の結果なし、角和善助君は橘樹郡旭村の人、喜兵衛氏の三男なり、家世々農家たり、君廿二歳にして決然横濱に来り、本町三丁目岡本傳右衛門氏の店員となる、これぞ生絲種紙賣込の最古の商人なり、君は主家を助けて其業務に奔走する六ヶ年、明治九年に至り不幸主家の没落に遇ふ、君は止むを得ず野毛方面に退轉して、酒小賣商を營み米穀販賣をも兼ねしが、覇気満々たる君はいかで小商に甘んずべき、百方考査の上葉煙草の輸出を企畫し、試に少量を試賣せしに意想外の利益を得しより、専ら産地を往来して商品を蒐集し、更に其の販路を進めたり、明治廿七年に至り、我國産の減少と外國輸入品の爲めに壓倒され、形勢大に不振に陥れり、君は東西を遊説して内田町に日本煙草株式會社なるものを設立し、専務取締役となりて商權回復を計りしが、政府専賣法實施の令出で自然解散するの止むなきに至れり、時に明治四十年四月なりき、茲に於て同年十月現在の店舗を開き蠶絲貿易商に復帰し、忍耐克く困苦に堪へ、着實にして勤儉以て今日の盛を致せり、而して家門の慶事は其一身に留まらず、令息一造氏陸軍少尉として日露の役武功抜群の譽れありしといふ、今や退職して家翁を輔け専ら業務に勉勵し、斯の父にして斯の子あるを羨ましむ、 家門の繁榮前途蓋し測るべからざるものあらん、」横浜成功名誉鑑

北仲通3丁目48番地 角和善助「曾て日本煙草株式會社の専務取締役として今又蠶絲貿易商として有名なる角和善助君は豪放にして其の膽斗の如く而して緻密周到の資性を有し其の頭脳明晰手腕の敏活商略の雄偉なる其の匹儔多からず一個の人傑といふべきなり君は實に嘉永元年三月二十一日神奈川縣橘樹郡旭村に生れ實父を喜平衛氏といふ君は其の三男なり家は代々農を 以て生業とせんが君年二十二歳にして決然郷を出て横濱に来り本町三丁目なる貿易商岡本傳右衛門氏の家に入りて商業見習となり生絲及び種紙の賣込に従事すること六ヶ年此の間の苦心惨憺實に名狀すべからざるものあり明治九年七月頃或る障碍の爲め不幸閉店するの已むなきに至りしを以て君流浪すること一ヶ年にして同十二年二月某外國人に申込み葉煙草の輸出を計りが素より少資本なれば始め二百斤を以て見本とし之れを海外に送りしに大に好結果を奏して益々盛大に赴き或る年の如きは洋俵三千俵斤敷にて七十五萬庁の多きに達せりと云ふ爾來斯業を經營すること十二年間二十七年頃に至り輸出も漸々減少し且つ專賣法案實施を耳にし且つ葉煙草輸入の障碍に逢ひ其の業も思はしからざるより二十八年末同業を廃し二十九年八月當市内田町に十萬圓の資金を以て日本葉煙草株式會社を創立し君は推されて専務取締役となり勤務中遂に專賣法の實施に遭遇せしかば三十四年四月頃會社を解散するの已むなきに至りぬ同年十月現住所に於て蠶絲貿易商を営み勇猛の精神と鋭敏の才略とを以て經營せし結果今や市内有數の豪商たるに至れり君の長男一造氏は一年志願兵にして三十七八年戦役の際には少尉として出征抜群の功名を奏したるが為に勲六等に叙し旭日章を賜はりたり又一門の名器と謂つべし」京浜実業家名鑑

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