依田洋織物引取商 南仲通

依田商店 依田彌助
洋織物引取商
南仲通2丁目24番地
(574)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


潤達なる少壯商人 依田彌助君(山下町甲九十番)「三國の山、三波の水、峻嶮と清玲と、凝ッては人物となり、發して侠氣となる、關東精悍の風秩父山系を中心として起るは古今其撰を一にす、依田彌助君亦上毛藤岡の人、覇氣稜々夙に少壯商人間に鳴る、明治三十七八年日露の干戈相交るに當り、或は後援に或は歡送迎に、炬火爛々たる點燈行列の快運動は、戰國の際坐ろに人意を鼓舞せしめき、君明治二十一年の頃早稲田専門學校に遊びて、政治経済の學を修む、中途乃父の喪に遇ひ不幸退學の已むなきに及べり、家翁は一世の侠商、洋織物引取商の巨擘なりし、君衣鉢を傳へて其業を継ぎ、敏捷なる手腕は往々老成家を歴し、一躍地を擢くの位置を占めしは年僅かに二十七八歳の時なりと聞く、三十三年本町外十三ヶ町區會議員に擧げられ、又市會議員候補者に擬せらる、君年少の故を以て固辭す、三十八年に至り再び推薦せらるゝや、決する所あり斷然快諾を與へたり、今や現に山下町甲九十番に入り盛に其辛辣なる商才を發揮されつゝあり、性任侠潤達にして達辯、侃諤の議を公場に振ふこと久し、三十四年以来輸入商青年會の會長として其牛耳を執り、野外運動及び點火行列のウォーリターとして全港に活躍す、南睦會、上州會其他公共事業に關して盡す所甚だ多く、上州男兒の真骨頭を發揮して、現横浜に於ける一部の化形役者たり、嗟吁山靈水伯の感花も亦偉大なる哉」横浜成功名誉鑑

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