弁天通4丁目74番地(752)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
「明治元年頃には本店及太田町の吉村外二三軒の鼈甲小間物商があったが、今は其当時の店が一軒も残っていないから営業に於ける横浜第一の老舗である。十年頃から珊瑚の売買を始めて十二年頃から一層手広く取引を為し、商館に売込み又は東京大阪の同業者に卸していた。横浜へ著く珊瑚の荷の八分通りは一手で引受けた程の盛況出会ったが、其後関税が次第に高くなって今では五割といふ有様であるから、迚も利潤を見ることが出来ないといふので現今は小売のみをするやうになった。其他婦人物の金銀鼈甲宝石類の小売をしているが束髪が増えても従来の髪飾品の売行きは少しも衰えへないので結局品目が多くなったに過ぎないさうである。廿五年に筋向ふの六十二番地から現在の七十四番地に移転して専ら婦人装飾品の製作に意を凝らしている。」実業之横浜
小間物商界の耆宿(半田屋號)下鳥儀助「下鳥儀助 君、年齒古稀に及び精力根氣壯者を凌ぐ、肖像は君の還暦當時の撮影に係る、其钁鑠として衰へざる風采欣羨すべきなり、君は新潟縣の人維新前江戸に於て米殻株式仲買商を營みしが、明治元年橫濱に來り小間物商に轉じ、殊に象牙珊瑚貴金屬品の賣買をなせり、珊瑚は一時盛に輸入せしも明治廿五年頃に至り、海關稅の増加と本國伊多利の産出高减少せし爲め該品輸入は殆んど杜絶の姿となれり、目下は小賣に重を置き、内地向と共に外人を顧客として盛に營業せり、君資性羲俠公共心に富み、曩きに第三議會に向って古物商條例改正の際斡旋する所あり、今猶古物商組合頭取橫濱三業組合幹事長に推され聲望あり、」横濱成功名誉鑑
實業之横濱 |
横浜貿易新報 |
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