神奈川県立中学校 県立第一中学校
希望ヶ丘高等学校
西戸部町池ノ坂917番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「第一横浜中学校は西戸部町に在り明治30年5月より開校したるものにして神奈川県立中学校と称し県下唯一の中学校たり、其後中学の増設せらるるに及び県立第一中学校と改称し、更に大正2年4月1日より横浜中学校と改むるに至る、現在校長木村繁四郎氏は明治32年6月以来其職に在り温厚の士にして篤学の名あり、大正元年に於ける生徒は五百八十七人、学級十五、教員二十六人にして卒業生を出す七百四十二人に及べり。」現代之横浜
「明治三十年の創立にして生徒五百八十六人を収容し教員二十六人なり。」横浜商業遊覧案内
縣立第一中學校長 木村繁四郎先生「農學士正七位木村繁四郎君は、陸奧弘前の舊藩士なり、岡山宇都宮等の中學教諭となり、又栃木農學校長に任ぜられしが、明治卅年五月神奈川縣第一中學校の創立さるるや、小林校長の下に敎頭として聘せられ、卅二年校長に昇任す、爾來十年の久しき一日の如く諄々として倦まず、溫良にして寬厚己を持する常に卑に置きて人と爭はず、古聖人の風あり、嘗て狂漢あり白刃を振ふて之に迫る、君身に寸鐵を帯びず為に傷を蒙むると頗る多く昏迷して斃る吏来りて瘡痍を檢す、君徐に口を開て曰く、害を加ふるものは狂人某なり、彼元より精神錯亂す、願くは罪を論ずる勿れと、死生の間猶且斯の如し、以て其不生を窺知するに難からず、君病床にある數句、継過幸に良好にして健康奮に復せりと聞く、茲に於て吾人は再び此の良校長を就くを得るは又他縣に向てて聊か誇とするに足る、」横浜成功名誉鑑
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