横浜開港五十年祭 遊廓
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「橫濱遊廓の賑ひ 永樂眞金兩町內の横濱遊廓にては顏役加藤龜太郎と堀井金太郎氏等が發企となり藝妓屋の町田家幷に松村等が行事となり夫々準備を爲したる結果、永樂町入口大門并に眞金町長島橋際に大いなる國旗を交叉し各樓共に紅白の慢幕にて店頭を張詰め市の徽章と『祝開港五十年』と記せし提燈をは殆んど隙間もなき程に排列せしめ中にも永樂町第壹三ヶ月樓にては張見世左方の廣間に各樓の娘或は妻女等が自慢の池の坊の生花數十對風流を盡して飾附けられ又催しとしては神武天皇の花車一本に二輪加を出だし廓內の名妓、金八、お鳥、歌吉、小三、松助、鈴吉等が地方となり雛妓連十五名が常盤津三つ人形、神田祭其他派手やかなる踊を演じ其外幇間の久孝、喜孝、榮孝、市孝等の五名が喜劇數番を演じたり。神武天皇の花車は金太郎福子等の藝妓廿四名が孰れも揃の手古舞姿に廓內消防連が先頭に立ち木遣にて附近各町を練步き時ならぬ花の賑ひを呈したり。夜間は各樓の店頭より提燈に點火せしかば平素ですら不夜城の遊廓は一層の壯親を極め殊に夜間は二輪加連が各樓を踊り廻りしを以て廓中は連日連夜に亘りて頗る賑ひたり。」横浜開港五十年紀年帖
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