横浜蠶絲日報 |
横浜南中舎 藪覺次郎
印刷業
南仲通4丁目77番地(406)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
藪覺次郎 南仲通4丁目77番地「藪覺次郎君は夙に印刷業の発達改良を計り最も堪能熟練の人として其の聲譽嘖々たるの士なり君は越中國蠣波郡神島村の産嘉永五年十一月の誕生に係る父を喜左衛門氏と日ひ君は其の三男にして家は代々農薬を以て業とす幼にして穎敏聰悟大志あり稍々長ずるに及びて活眼達識時勢の進運を察し文明の進化に貢献せんと欲して明治六年出京して日本橋區蛎殻町の耕文館に入り始めて活版印刷事業に従事し後明治十四年更に神田なる國文社に轉じて業を執る當時我が國未だフート式機械の装置なく爲めに斯業界の不便緩漫を感ずるの甚しきを慨し苦心惨憺刻苦經營是れが製作に努むる所ありしが會々某雑誌印刷の西洋機械を見て該印機既に我が國に輸入され居ることを悟り飜然として志を變じ更に舶来品の模型に依り某鍛工と謀りて是れを製造せんと欲して工夫を凝らし思考を廻らし苦心惨憺の結果に其効を奏して大に悦び以て我が國印刷事業に貢献せんと欲し先づ國文社に就いて是れが使用を求め尋で第二囘内國勸業博覧會に出品して有功二等賞を受領し頗る好評を博したり君は尚ほ當時國文社印刷の事務を掌理せしが偶々畏くも聖上陛下の御前に於て印刷作業を試み天覧に供し奉るの光榮を得たりと洵に一門の名譽印刷業の面目是れに過ぎずと謂ふべし明治十六年横濱に出で横濱會館内の印刷所に轉勤し同二 十二年八月同所在勤の令弟治郎吉氏と協力合同し南仲通に南中舎なるものを創立し初めて斯業の獨立自營に従事し爾來十有餘年間熱誠忠實以て華客の需めに應じ奮闘勤勉以て業務の拡張を計りしが今や家運隆々として旭日昇天の勢を呈し現に斯業界の一大明星を以て擬せらるに至れり鳴呼君の業や成功せりと謂ふべし」京浜実業家名鑑
南中舍印刷所 藪覺次郎「横濱印刷業者中の明星と目せられて居るのは南仲舍である、同舍は藪覺次郎君と令弟次郎吉君との合同經營に係る者で、場所柄だけに主として貿易商や取引所仲買等の相場報告の印行に當り、追々技術を認められて今は神奈川縣公報印刷所、横濱蠶糸日報發行所となつて居る、店主覺次郎君は嘉永五年十一月越中礪波郡神島村の農家に生れ、明治六年上京し日本橋區蠣殼町耕文館に印刷を見習ひ、同十四年神田國文社に入り研究中、フート式機械を見て此れを摸型とし苦心の末改良を加へて新機械を製作し、國文社に使用されて効果を擧ぐると共に、第二回內國勸業博覽會に出品して有功二等賞を受領した又當時陛下の御前に印刷の技を試み天覧の光榮を得た事もある、明治十六年出濱して横濱會館中の印刷所に勤務せしが、二十ニ年八月に至つて獨立開業されたのてある、」横浜成功名誉鑑
南中舎 藪覺次郎「新式の機械を据置き巨多の職工を督して専ら印刷業に従ふて好評あり印刷頗る鮮明且誤字なきを唯一の特色とせり」京浜名家総覧職業
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