横浜電気鉄道 西戸部町 高島町

横浜電気鉄道株式会社
電気鉄道
西戸部町330番地 高島町5丁目12番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「資本金三百七十餘萬圓を以て明治三十七年に創立し市内一周交通の便を圖る。起點を神奈川停車場前に置き本牧迄の一線。公園前より税關巡りの一線。尾上町に分岐し八幡橋(磯子海岸)に至る途中日本橋に於て分岐戸部に至るの線路。延長二十一哩餘なり。近く本牧は八幡線と連絡し。戸部線は新設停車場を經て高島町に接續す。横浜商業遊覧案内

市内交通の最要機關 横濱電氣鐵道 會社 高島町5丁目12番地「横濱電氣鐵道出願の競争者頗る激甚にして、萠芽は遠く明治二十八年頃に胚胎せり、分離聯合各種の交渉を經て、明治卅八年に至り、各派の合同成り、平沼延治郎氏外廿二名相一致して出願に及びければ、同年八月市會の協賛を經て同九月十七日認可せられたり、其線路は横濵市高島町十丁目角に起り高島町内田町を經て大江橋に至り架橋を渡り尾上町を過ぎ横濱公園脇に至る酉の橋に起り、大岡川に沿ひ、港橋側に於て右折し、海岸通りに出て、稅關前を過ぎ、薩摩町通を經て花園橋に至る、神奈川大江橋間は卅七年七月より開通し、運轉車十二輛を以て五分間毎に双方より發車し、第二期線は卅八年七月廿四日より十八輛の車臺を以て運轉を開始せり、此延長七哩に過ぎずと雖も成績頗る良好にして社運發展の機玆に熟し、今や大に其線路を延長せんとす、横濱停車塲前より平沼停車塲に至る支線は尾上町五丁目既成線より分岐し、關外を經て吉田橋に出て一路直ちに鎌倉に至るもの、他は杉田富岡金澤を經て逗子に達するものにして延長約廿五哩に至る、線路は既に許可を得たれば、早晩開通を見るべきものとす、この工事にして落成せんか、三島半島を一週して延長實に入十哩、湘南の風光を探ぐり郡市の交通を助け、其の便利測るべからざるものあらん、會社資本金三百萬圓之れを六萬株に分つ、」横濱成功名誉鑑

「横浜市内に於ける交通機關として電氣鉄道の運轉を爲せるものは同會社あるのみ、拂込資本参百七拾萬圓にして年々線路の延長を爲して其延長するに従ひて利益を増加しつつあり同社は市内各所に延長する線路を有すると共に市外に向って鎌倉線、金澤線も漸々敷設するの豫定なれば遂には縣下の遊覧電氣鐵道樽に至るべし。」現代之横浜

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