伊勢山大神宮
宮崎町64番地
明治3年(1870)戸部町にあった皇大神宮を祀る社祠を野毛山に遷座。明治4年(1871)に国費で社殿を造営し、地名を野毛山から伊勢山に変更、伊勢山皇大神宮となった。例祭日は5月15日
明治の横浜手彩色写真絵葉書
伊勢山太神宮社司 龍山親祇「伊勢山皇太神宮勸請の年月詳かならず、往時は蕞爾たる一小村祉なりしが、明治二年神奈川知事井關盛艮奏して横濱の鎮護となす、同三年四月十五日今のと乙ろに奉安す、舊字平臺を改めて伊勢山と改稱し、縣社に列し例祭を五月十五日と定めらる、祇司瀧山親祗君は安政元年の出生にして、土地の名族石川德右衛門氏の令弟なり、幼にして海龍山の徒弟となり、道德堅固の譽ありしが、時勢に感じ髮を蓄へて奉齊頗る努め以て今日に至る君別に嚴島神社の社司をも兼務さる、ともに我横濱發祥の神祗なれば、其土の人をして奉祀せしめらるは蓋し神慮のある處を推すべきなり、」横浜成功名誉鑑
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