中沢美術商会 山下町

中澤商会
美術工芸品商
山下町17番地 港町2丁目8番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

美術工芸品販売 中澤幾太郎「富士山陰の地古來より傑士を出だす、蓋し氣魄其崢嶸に化せらるゝによる、中澤幾太郎君は甲州巨摩郡飯野の人明治八年を以て生る、幼にして大志あり、一介の身を挺して遠く南洋に遊ばんとし、路香港に寄航す、其殷賑の狀を見、翻然大悟、クインスカレージに入學し、研鑽三年爰に文明的智識を涵養し、初めて獨立の商業を營まんとす、因て熟ら考ふるに美術品販賣業に若くものなしと、則ち神戸に歸ヘり叉横濱に行き、百方外人の嗜好品を集めて香港第一街に日本美術品店を展開す、時に明治三十三年なり、乾燥無味なる市塲に姚紅魏紫の装飾具、精巧緻密の娛樂品、實に是れ萬綠叢中の一點紅なりしなり、東洋の精華は一に該店にありとして顧客の蟻集するも又宜ならずや、爾來數年日清兩國間を往復する幾回なるを知らず、商况日に繁盛を加ヘ忽ちにして巨萬の産を興すを得たり、君は更らに進んで業務を擴張せんが爲め、基礎全くなりし香港の店舗を店員に托し、四十年横濱山下町に一店を開きて之を根據とし、翌四十一年新嘉坡に支店を設置して南淸印度方面に驥足を伸すの地步を作くれり、其陣を進むるや正 々堂々機に臨んで先を制し、志望の變ぜざる山の如きの慨あるは、古名將機山の兵法に私淑する乎非乎、嗚呼君も亦商界中の人傑なる哉、《四十二年七月現所に移轉さる》」横濱成功名誉鑑

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