解説 山手本通り

山手本通りの写真です
正面の塔は「山手ゲーテ座」、その奥に見えるのが「イギリス海軍病院」、写真左手、山手本通りに面して入口が確認できるのは「アメリカ海軍病院」です

下に掲載した写真は、同じ地点から撮影したものですが、いくつかの違いが見て取れます
まず、山手ゲーテ座(1885年竣工)の煙突が、上の写真に比べて短くなっています
何らかの理由で短くなった、折れてしまった可能性がうかがえます

また、アメリカ海軍病院の入口が下の写真に比べ、やや奥まった位置にあるようにも見えます
アメリカ海軍病院は1909年、下田菊太郎の設計により改築されるのでその際の変更と考えられます

撮影時期は1885年〜1909年の間でしょう
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑


吉見電気工事商店 野毛町

吉見商店
瓦斯及電気に関する工事請負
野毛町1丁目11番地
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奴利屋酒店 尾上町

奴利屋 中澤彦吉
酒店小売
尾上町6丁目83番地
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「奴利屋と號す。尾上町六丁目『金線サイダー』の發賣店なり。店舗廣からずと雖も商業盛大なり。」横浜遊覧商業案内

奴利屋酒店 中澤福三郎「灘銘酒の覇王たる菊正宗の一手捌、清凉水の白眉金線印シャンピンサイダー及最上醬油ヒゲタ印の特約發賣店たる大江橋通りの奴利屋商店は、横浜に於ける斯界の巨擘とす、同店は東京南新堀一丁目中澤彥吉氏が明治八年頃より創始せられし老舗にて、南仲通に支店あり、關の内外に顧客を有して其手廣き商業振に名聲嘖々として全市を壓す、現主福三郎君明治十二年生は常に凉濱兩店間を來往して店務を監督し、橫浜に於ける營業支配人としては若原松太郎君其任に當り叉敏腕家の稱あり、近來時勢に鑑み、一般日本酒醬油卸小賣の外、洋酒食料品をも併せて販賣し、旭日冲天の勢あるは感服の外なし、」横濱成功名誉鑑


神奈川縣案内誌

駿河屋陶磁器店 野毛町

駿河屋(駿州屋)大石貞蔵商店
陶磁器小売商
野毛町2丁目69番地→71番地
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錦昌堂文具店 弁天通


錦昌堂
文具店
弁天通4丁目75番地
明治35年頃開店、1年後に野毛町2丁目42番地へ移転する
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福井屋呉服店 野毛町

福井屋呉服店
呉服
野毛町1丁目5番地
(1992)
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和英横浜案内

見晴ししるこ 宮崎町

見はらししるこ
汁粉
宮崎町32番地
写真の店舗が「見晴らししるこ」かは不明
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見晴ししるこ 川本富太郎「羽田の靄、本牧の霞、朝な幕なの景色晝にも優りて美しく、艨艟の浮ぶは動るきなき島根にやあらむ小の馳するは秋の木の葉よりも軽し、夜に入れば無敷の燈火疑ふらくば満天の銀河一斉に落下し來る、此の壮観異彩を擅にするは實に見晴亭上の眺なり、亭には名物の汁粉ありて客に供する器物の輝味を帯びたるは尺素往楽の古事をも偲ぶべく信濃善哉の雅味は實に天下獨歩と稀せらる、其外需に應じて調理する磯の鮎は流石自慢の風味あり、此の形勝を占むる亭の主人は川本富太郎君で東京の生、父祖以来陶器師なりしも、明治十六年来該業に轉じて野毛山名物の汁粉店となれるなり」横浜成功名誉鑑

ドッドウェル商会 山下町

ドッドウェル商会 Dodwell & Co.
総合商社
山下町50番地
左から二人目が「古き横浜の壊滅」の著者O.M.プールか
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ドッドウェルカーリル商會「明治初年に英國倫敦より出店せるアダムソンペール商會は明治廿四年に至りドッ卜ゥェルカーリル氏に全權を讓興せり、爾来ドットウェル商會と改め又ハチソン商會をも合併し、ジョー、サイム、タムソン君を日本代表者として、汽船航海業代理店の外、機械肥料織物等を輸人し、麥稈及び經木眞田等を輸出す、神戶居留地五番は支店にて東京銀座 1丁目は出張所たり、取組先は倫敦、晚香披、ビクトリヤ、桑港、紐育、タコマ、シャートル、コロンボ、セーロン、香港、上海、漢口、福州等とす、横濱支店の重なる邦人は、平部次郎、丸山松次郎、井上永次郎、吉田文等の諸君なり、」横浜成功名誉鑑


present-day impressions of Japan

中華公立学校 山下町

中華公立学校
山下町140番地
大正13年(1924)に大同学校、中華学校、華僑学校が合併し中華公立学校が創立した、新校舎は大正15年(1926)に竣工
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研究 神奈川停車場横景

神奈川停車場横景
神奈川停車場横景について再考する
線路を見ると単線で、その上に橋が架かっている
その橋の横には店があり、看板に文字が書かれている
拡大してみたが、文字が読めない
逆版のようである

正向きにすると下のようになる
逆版の写真、単線で橋が架かる
よく分からないが神奈川停車場付近だろう
 とそのままにしていたが誤りであった

「新橋・横浜間 18哩」〜日本の鉄道開業史料集〜を参照していただきたいが
手前に見える板敷は神奈川停車場のプラットフォーム
つまり神奈川停車場からの撮影で
正面に見える橋は第19橋(神奈川跨線人道橋)現在の青木橋、
手前が横浜方面、正面奥が新橋方面となる
単線(明治14年複線化完了)の疑問は残るが
古写真の転用なのだろうか
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屏風ヶ浦 磯子

屏風ヶ浦
磯子
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森中原海岸 杉田 

森中原海岸
杉田街道
森中原村の海岸沿い、奥に見えるのは富岡か
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杉田八幡神社 杉田

杉田八幡宮
杉田町字宮原452番地
1674年に間宮左衛門尉信廣が社殿を再興し、久良岐郡十二ヶ村の総社とした
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杉田林より三ノ谷 杉田

杉田林より三ノ谷方面を望む
杉田
杉田八幡宮上からの景色か
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吐月峯 杉田

杉田海岸と吐月峯
杉田
奥の岬が吐月峯か、富岡の崎山
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野毛山浄水場 戸部町

野毛山浄水場
明治20年に英国人パーマーの設計で完成、給水を開始した
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鶴声館旅館 鶴見町

鶴聲館
旅館
(77)
鶴見町1215番地
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フランス領事官邸 山手町

フランス領事官邸
山手町186番地
フランス人建築家サルダの設計で明治29年(1896)竣工した
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フランス領事館庭園 山手町

フランス軍キャンプ庭園
山手町
フランス山から山下町居留地を望む
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フランス領事館 山手町

フランス領事館
山手町185番地
フランス人建築家 P.P.サルダの設計で明治29年(1896)竣工した。関東大震災で崩壊し現在はフランス山公園になっている。
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