研究 三井得右衛門宛の騎手の写真

写真には二人の騎手が写っており、薄紙には「三井得右衛門様」と記されている
台紙には “Yokohama” と “Fukagawa” の刻印がある

根岸競馬場で優勝した騎手の写真を、三井得右衛門なるものに贈ったものか、あるいは贈ろうとしたものだろうか

まず、三井得右衛門について調べてみよう
明治4年、三井伊皿子家(いさらごけ)の三井高生の次男として高信が誕生する
当時、三井家は政府から呉服店の撤退を命じられ、そこで新たに「三越家」を架空の家として設立し、事業を継承させた
この際、使用人筆頭に「三越得右衛門」を名乗らせたという
明治10年には、高信がその名を継ぎ「三越得右衛門」となる
その後、明治25年から26年にかけて三越を回収し、「三井呉服店」として再出発を図るなかで、「三越得右衛門」は「三井得右衛門」と改姓する
このあたりの経緯は三井文庫(資料館)が詳しい


得右衛門は大の馬好きで、横浜に厩舎を構え、伊庭野次郎を専属騎手としていた
大正3年10月30日、根岸秋季競馬のオーストラリアン・ハンディキャップ・レースでは、得右衛門の所有馬「イヅツ」が伊庭野次郎の騎乗で優勝している
騎手のひとりは伊庭野次郎か


台紙にはYokohamaと
読みにくいが筆記体でFukagawaの文字が空押しされている
横浜の写真館で深川は
山下町32番地、ファサリ写真館の深川伊都麿か

とここまで調べたが確かなものは何もない
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別所の桜

別所の桜
横浜桜の名所
著名な桜古木だったが、関東大震災で折れて枯れてしまった
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磯子の菖蒲

磯子菖蒲園
横浜花の名所
明治30年(1897)横浜植木が磯子菖蒲園を開設、花菖蒲は百合に次いで海外で人気があった。明治36年(1903)蒲田に菖蒲園を開設し磯子菖蒲園は閉鎖された。
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横浜電気工業 西平沼町

横浜電気工業
各種電球製造販売
西平沼町88番地
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「資本金五拾萬圓を以て設立せるものにして電燈球并に電氣器具の製作を目的とし其製作の電燈球は光力強くして好評あり。」現代之横浜

横浜商業会議所

實業之横濱

外谷絹物洋服店 元町


外谷商店 外谷善之助
絹物洋服商
元町3丁目126番地
外谷善之助は明治15年7月、長野県上水内郡三水村に生まれる
明治43年9月16日元町で開業、大正3年に山下町へ移転する
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黒川製茶商 元浜町

黒川益次郎
製茶海産乾物貿易商
元浜町1丁目13番地 北仲通2丁目29番地
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「故黒川益次郎柩」葬列
本村通りから前田橋手前を左折しようとしているところ、
この後、居留地側の堀川沿いを通り、谷戸橋を渡って堀川沿いを戻り増徳院に向かうのか
黒川合資会社は、黒川益次郎氏が亡くなったことにより明治37年1月26日に解散しているので亡くなったのは明治36年の年末から翌年の1月ごろだろうか

ジーエルウオン洋服商

G. L. WONG.
洋服商
山下町61番地
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福田屋象牙店 弁天通


福田屋 宮本正太郎
象牙彫刻物類
弁天通3丁目54番地
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福寿靴店 弁天通


福寿靴店
靴店
弁天通4丁目64番地
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神奈川縣案内

アサヒ屋雑貨商店 弁天通


 アサヒ屋
雑貨商
弁天通4丁目64番地
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山本廉平写真館 相生町

山本廉平
写真師
相生町1丁目4番地
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三川靴鞄商店 弁天通


三川商店
靴鞄商
弁天通4丁目75番地
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靴鞄商三川商店 三川信太郎「三川商店主信太郎君は明治七年相州秦野町に生る、家は世々農を以て業とす、君十四歳の時橫浜に來り辨天通清水勝五郎氏に随ひ靴鞄製造を實習せること十一年の久しきに涉り、工賃餘すこと八十金、卅一年五月二十五歳にして主家を辭し櫻木町に獨立開店し、卅四年現住所に移轉せり、少資本を以て優勝劣敗の競爭塲裡に出て、あらゆる浮世の辛酸を甞めて玆に漸く渦中より脱するを得、益々奮闘彼岸に達せずんば止まざる氣象は凛乎として眉吉溢る、君頗る英語に巧にして店頭集まり來る外客との應接、流暢圓轉として間然する所なし、蓋し天性によるか將た一藝の秀萬能に超ゆるの謂乎、勤にして儉、今や土地家屋を所有し、堂々たる店舗として立つに至りし君の技倆や决して凡ならじ、」横濱成功名誉鑑



神奈川縣案内

島田陶器商 扇町

嶋田商店 嶋田金次郎
陶器売込商
扇町3丁目132番地
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麻屋亀田美術商店 弁天通

麻屋亀田商店 亀田清吉
美術貿易商
弁天通2丁目26番地
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畠山カバン商店 太田町

畠山清次郎
鞄製造販売
太田町1丁目1番地
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横浜貿易倉庫 境町


横浜貿易倉庫
倉庫業
境町1丁目1番地
明治13年(1880)貿易組合の小野光景が市役所の倉庫を借り受けて貿易商共同の倉庫にしたのが始まりで、後に株式組織に変更した。渡辺譲の設計、横河民輔の監督、建設は清水組で明治24年に竣工した。
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木村利右衛門氏を社長に推し支配人には敏腕の聞えある高橋徳之助氏あり受託品の重なるものは生絲を最もとす払込資本金百拾 弐萬余円積立金貳萬参千余円あり営業毎期好成績にして配当は九朱を下らず前途亦 好望也」

倉庫業の權與 株式会社橫濱貿易倉庫「明治十三年時の貿易組合總理小野光景氏先見の明あり、株金二十五萬圓を募集して市役所々屬の倉庫三棟を借り受け、貿易商共同の倉庫に充てしにより、貿易倉庫の萠芽は此に肧胎す、明治廿二年に至り組合總代會は大谷嘉兵衛氏外十一名を建築委員に擧げ、廿四年四月工事に着手し十二月竣工す此建坪總計千四百坪工費金六萬七千五百餘圓を要せり、後株式組織に變更し廿五萬圓の資本金となれり、現在の専務取締役は木村利右衛門君、取締役は佐藤政五郎渡邊庄次郎田中林藏の三君、監査役は吉永仁蔵木村重太郎金子政吉の三君にして、支配人は高橋德之助君なり、」横濱成功名誉鑑

上州屋絹商会 境町

上州屋商会 加藤政司
絹織物雑貨貿易商
境町1丁目9番地
加藤政司(政次)は、明治14年12月7日、上州群馬の山田郡桐生町の加藤幸次郎氏の次男として誕生した。明治27年に横浜へ出て、野澤屋にて7年間勤務。その後、富士貿易商会に入社したが解散の憂き目に遭う。明治38年10月、境町1丁目9番地で絹織物雑貨の貿易商を開業した。大正10年3月には隣の8番地に加藤絹商店を開業する
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