台紙には “Yokohama” と “Fukagawa” の刻印がある
根岸競馬場で優勝した騎手の写真を、三井得右衛門なるものに贈ったものか、あるいは贈ろうとしたものだろうか
まず、三井得右衛門について調べてみよう
明治4年、三井伊皿子家(いさらごけ)の三井高生の次男として高信が誕生する
当時、三井家は政府から呉服店の撤退を命じられ、そこで新たに「三越家」を架空の家として設立し、事業を継承させた
この際、使用人筆頭に「三越得右衛門」を名乗らせたという
明治10年には、高信がその名を継ぎ「三越得右衛門」となる
その後、明治25年から26年にかけて三越を回収し、「三井呉服店」として再出発を図るなかで、「三越得右衛門」は「三井得右衛門」と改姓する
このあたりの経緯は三井文庫(資料館)が詳しい
得右衛門は大の馬好きで、横浜に厩舎を構え、伊庭野次郎を専属騎手としていた
大正3年10月30日、根岸秋季競馬のオーストラリアン・ハンディキャップ・レースでは、得右衛門の所有馬「イヅツ」が伊庭野次郎の騎乗で優勝している
騎手のひとりは伊庭野次郎か


















































