横浜石炭商会 元浜町

神奈川縣案内
横浜石炭商会
石炭・硫黄及び貸庫営業
元浜町4丁目42番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

橫濱石炭商會 山下龜三郎君「一介の苦學生より身を起して知名の實業家と成る其の苦心よりも熱烈の氣よりも、偉大なる精力には驚くの外なし、橫濱石炭商會主山下龜三郎君は現に信濃硫黄株式會社取締役(三十五年)小樽木材株式會社(發起人)取締役(三十九年)韓國倉庫株式會社(發起人)取締役(同年)日本船主同盟會評議員等の諸役員を兼ね、躬ら海運石炭倉庫等の事業に就きて三十八名の店員及び喜佐方丸(三千百噸)第二喜佐方丸(三千四百五十噸)の二汽船により目覺ましき活動橆臺に立てど、此は凡て氏が膏血の結晶なり、君は伊豫宇和島の農家より出でて、十六歳の時十五圓を懷にし、飄然京都に到りて苦學を極め、十九年出京し明治法律學校理財科に入って勉學の上、日本橋區通一丁目大倉孫兵衛商店に商業を見習ひ、終始一貫精力主義を以て立ちし賜物に據る、二十七年來濱し、具さに難苦を味ふて、三十年初めて元濱町四丁目に石炭販賣を始め、横濱石炭商會と呼び事務の擴張を圖る内、三十六年日露の風雲急なるを見るや、氏は即ち二汽船を買收し、開戰と共に海運の事に力を盡して巨利を占む、目下東京門司の二支店を有し、東京深川區東大工町に山下石炭倉庫を設けて商運愈々隆れり、氏は慶應三年四月に生れ、別宅は逗子に在りて現に石炭商組合評議員に推さる、蓋し新進實業家中の尤なるものなり、」横濱成功名誉鑑

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