横浜電気株式会社 裏高島町

奉祝記念誌
横浜電気株式会社
電力
裏高島町2丁目2番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

横濱電氣株式會社「横濱市內の電燈幷に電氣動力供給の獨占會社なり、拂込資本金五百參拾參萬圓にして各種の積立金六拾八萬參萬圓七千餘圓あり配當 は一割一分にして前途頗る有望なる のみならず基礎の鞏固なることは云ふを待たず同社は橫濱市內に前記の供給を爲す外保土ヶ谷富士紡績に電力を供給し又江の島電鐵を經營し幷に電燈の供給及び橫須賀市に於て鎮守府に動力と電燈を供給し又同市に對して電氣及瓦斯を供給する等實に神奈川縣下の電氣王たり。」現代之横浜

電燈及電力供給の源泉 橫濱電氣株式會社「橫濱電氣株式會社は明治十二年九月橫濱共同電燈株式會社の商號を變更したるものにして、市内に於ける唯一の電燈及び電力の供給機關なり、其淵源は明治廿二年七月田沼太右衛門氏外十一名の發起創立したる橫濱共同電燈會社が、上郎幸入氏等の發起に係れる橫濱電燈會社の營業區域を買收して、橫濱市及附近町村を營業區域とし、資本金三十萬圓を以て常盤町一丁目に發電所を設け、廿三年十一月開業せるより起る、幾多の波瀾困難に遭遇したるも廿五年下半季に至り始めて利益を見るに及び、爾來逐年業務發達し、三十一年九月裏高島町に發電所を新築し、四十年神奈川電燈株式會社を合併し、同年又裏高島町發電所を增築し、次で本年更に箱根水力電氣會社と合同して、現在資本金三百廿萬圓となし、大に業務の發展を期するに至れり、而して營業の現況は動力九千五百馬力(內裏高島町發電所五千五百馬力、保土ヶ谷發電所四千馬力)にして、需用區域は橫濱全市保土ヶ谷町、子安村、屏風ヶ浦に亘り、線路亘長百四十餘哩電柱數三千八百餘本及び舊箱根電氣の塔の澤より保土ヶ谷に至る特別高壓送電線三十六哩、鐵塔百七十基、木柱二千三百本を合せて實に百七十哩餘に及び、其需用家は一萬七千餘戶、燈球十燭換算八萬三千餘個、四千五百馮力を要し、晝間動力用電動機個數二百餘基約六百馬力の外、保土ヶ谷瓦斯紡績會社晝夜使用の分一千馬力を合せて六十餘馬力に上るの情况にて、前途更に目下工事中なる本縣足柄上郡峯變壓所の落成と共に大々的活動を爲すの計畫なりと云ふ、重役には社長取締役木村利右衛門君常務取締役上野吉二郎駒井宇一郎二君の外、平沼、渡邊、若尾、太田黑、白杉、日比谷の諸豪取締役として其任に在り、」横濱成功名誉鑑

現代之横濱

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