清水絹物商店 弁天通

清水亀吉
絹物売込商
弁天通4丁目74番地(722)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

清水龜吉 弁天通4丁目72番地「我が五品取引所が世界生絲の標準相場を公定する機關たる限りは其の取引所仲買店中最も多數の賣買を取扱かへる清水吉君の如きは間接に世界の絲價を左右すべき勢力の一端を握れるものと云ひて可ならん君は佐賀肥前國西松浦郡有田町に生れ陶磁器の業を營み明治七年國產陶器の販路を拡張するの目的を以て始めて横濱に至りしが曾て歐米向の絹織物が前途頗る有望なるに着眼し絹織物の輸出を獎勵せし結果天運之れに酬ゐしか遂に數萬の利益を得たり明治二十七年蠶貿易業の發達に伴ひ五品取引所の設立さるるや君は率先して株主となり其の仲買店を開き仲買人委員に擧げられ今尚引き続き其の職に在り君は特に仲買業務に熱誠を注ぎ賣買注文に對しては確實懇切を旨とするが故に地方顧客の信用甚だ篤く取引所設立以來曾て一日を自ら休業せしことなく此の點は多くの同業者中君を措いて復た一人の比するものなしと傅へらる君は今年六十餘歳の高齢に達せるにも拘はらず頗る健全にして自ら市場に立って賣買を争ふ勢は遠く他の青年輩の及ばざる所あり若し夫れ賣買の機敏商略の確實に至っては多年の精練研鑽を經たる老功圓熟君の右に出づるもの果して幾人ぞ夫れ横濱五品取引所は世界絲價の公定機関として特殊の地位を中外に占め横濱の花と評すべきものありと雖も既に生絲貿易一億圓の聲を揚げ今又先約の成立空前の盛況を見ると言ふに於て横濱五品取引所の既往の進運の如きは殆ど言ふに足らず若し此の機關の進取的に積極的に世界的に利用するにあらば五品取引所の前途は世界の大取引所たるの外なきものにして従って又横濱市場の花とし て大に世界に鳴るの將来あるべきは疑を容れず吾人須らく之れを君に俟たん」京浜実業家名鑑

生絲仲買の老將 清水龜吉 弁天通4丁目72番地「清水龜吉君耳順を過ぐる四歲、精力根氣壯者を凌ぐ、しかも資性緻密にして人に對する最懇篤なるは衆の認むる所にして叉信賴する所なり、郷里は有名なる唐津焼の本塲肥前の有田なり、明治七年の頃伊萬里有田の陶器を輸出せん目的にて來れり海山隔絶運輸機關の不完全なると、産地の近き絹織物の有利なるとを對照比較し、忽ち心機を一轉して絹織物の輸出易へ、奇籌妙算誤またずして數萬の巨利を得たり、明治廿七年に至り蠶絲貿易の發達に伴ひ四品取引所の設置さるゝや、君率先して株主となり、仲買店を開らき、委員に擧げらる、爾來孜々として取引市塲に立ち、蒼古の手腕益々一異彩を加へ居れり、(本夏尙蠶絲賣込商を始め駸々盛况に向ひつゝあり)、」横濱成功名誉鑑


横濱商品取引商報

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