藤原吉郎弁護士
弁護士
弁天通6丁目112番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
圓熟なる辯護士 藤原吉郎「少壯辯護士中鏘々の聞えある藤原吉郎君は、長崎縣南松浦郡福江の人、明治二年を以て生る、天性篤學にして頭腦明晰、甞て法律學を修めて辯護士試驗に應ず、三百人の受驗者中合格する者僅かに五名、而も君はその第一位を占む、又以てその人となりを想見すべなり、事務所開始は廿六年にして、平生客を愛し門下の秀才君の薫陶に浴し良法曹たるもの頗る多し、甞て鎌倉建長寺の什賓なる五百羅漢取戻事件及去る廿九年中詐欺事件の錯雜紛糾せる相州高座郡大和村小林快藏の代理人として、適確の辯護を興へし如きは今猶世人の耳底に殘れる處なり、近來横須賀深田觀念寺及沼津に出張事務所を置き日々法律事務に鞅掌せり、君は橫濱辯護士會常議員として其の任に列し、餘技の球戯術は辣手として著名なり、」横浜成功名誉鑑
現在の横濱 |
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